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諸方面をdisってるようなdisってないような雑感(少し長い)

右にせよ左にせよ、自分の政治信条を押し付けて説得させることが第一義にある者同士の議論が止揚として前進することはそうそうないだろう
・結局自分の政治信条を構成するに至るまでに自分が費やした時間などの労力に価値を見出したいという欲求から、わざわざポリシーを大きく崩すことはしたくないという意識がどうしても拭えない人は多い(私とてそうだ)。誰しも自分が費やした労力がまるで無駄だったなどという評価は自分に対しても突きつけたくないものであり、しかし同時にそれを他人に突きつけることはあまりに容易い
 
・私自身は極めて無学で無教養な人間であるから、政治的なことについてほとんど語り得ぬものであるが(衒学的になるのも悪くはない)、やはり一般名詞だけでディテール的な政治を語るのは愚かとの誹りを免れ得ない
・「自分にストイックであること」と「ストイック至上主義を絶対正義として他人に押し付ける」ことはまるで違う。前者を自分の中だけで完結しうる行動に対する自信につなげるのは寧ろ素晴らしいことである。しかし自分は苦しんだ末に成功を収めたという武勇伝は客観的な評価に照らし合わせて考えられるべき心情や思想、知見の正しさをも担保するのだというような考え方はかなり危険である 
・すこし脇道にそれるが、「失敗」の原因を自己に追求するのは勝手だが「成功」の原因までも自己の内部に完全に追及しきれると考えることはまずい。勿論努力は大事だが、成功したという結果論だけで他人にとっては十分である。
・私は何も実績や結果を、その人のある知見への評価において全く考慮されるべきでないと言うのではない。しかしある知見を評価するのは発信者本人ではなく、あくまで受けてである。
・そして受け手はあくまでも客観的な評価材料の一つとして発信者の実績や経歴を参照することがあるべきであって、(勿論「◯◯という経歴だから信頼できる/できない」とするのは危ないことだ)発信者側からわざわざ受信者の内面にまで踏み入るように「俺は◯◯を成功したんだから言っていることは正しいと信じるべきだ」などと言ってくるようなことは、在ってはならない傲慢な禁忌的行為である。
叩くことが気持ちいいと言う人はかなり多い。自分自身嘗てある団体をネット上で猛バッシングする集団の一員だった経験から言えば、言論で第三者を袋叩きにしているときの意識状態は明らかにシラフのときと異なり、殆ど麻薬的な魅力がついて離れないものである。
・風刺と言うのは極めて知的に高度なセンスを要求されるし、巧みな風刺は確かに存在するが、社会を風刺してあまつさえ承認欲求を満たしたいということを第一義に考えて政治あるいは社会を見るような態度は、これ又危険である
・何れにせよ、「結論ありきの議論に結実は乏しい」のだ。
自分が言っていることの本質的な正しさに対する自信を、盾にするように礼節を欠いた態度や挑発的な発言をする者は、長期的な視点で見て知的水準の低い発信者であるとみなされるべきだ。
・「挑発的な態度」を取らないように発言する最も簡単なコツの一つは「反語を使わない」ことだ
・「◯◯だと思う」という結びは幼稚さを感じさせる。
・「◯◯ですよねwww」「そうですよねww」という共感は(右にも左にも散見されるが)往々にして自分の心情と合致する仲間を見つけて感情を増幅させるだけで生産性は低い。